人は管理するものではない
会社員として仕事をしていると「管理」という言葉を日常的に目にします。
・金銭管理
・品質管理
・在庫管理
・情報管理
に始まり「管理職」や「●●管理部」という言葉まで、あやゆるものに「管理」という言葉が使われています。
管理には「あるべき状態に保つ」という意味があります。
「あるべき状態」には、「あるべき基準」があります。
管理業務は大きく2つに分けられます。
・基準から外れた原因を特定し基準内に戻す。
・基準そのものを修正または新たに設定する。
管理そのものを仕事にしている方も多いでしょう。
「管理」と連動して用いられるものに「経営資源」という言葉があります。
「ヒト・モノ・カネ・情報」は「経営資源」と呼ばれています。
「経営資源」を活用し、利益を上げていくのが経営です。
これら経営資源の中で「管理」から除外すべきものがあります。
「ヒト」です。
ここでの「ヒト」とは、主に「従業員」を指します。
従業員を管理するという発想は、性悪説的な考え方が根底にあります。
・指示を与え続けなければ、人は怠ける
・厳格なルールがなければ、遅刻早退欠勤が増える
・厳格なルールがなければ、身だしなみが乱れる
従業員の立場らからすると、ルールが増えれば増えるほどルールにうんざりします。
モチベーションが下がります。
やらされ感に支配されてしまうからです。
結果、ルールを守こと自体が目的となるのです。
接客サービスや作業の安全管理にも同じことが言えます。
現場作業には、状況の変化がつきものです。
机上で考えるほど、状況は一定ではありません。
状況の変化に対応する力は、ルールを守ることと同じくらい重要です。
いわゆる「臨機応変」といわれるものです。
臨機応変な行動とルールを守ることは、相反する要素を含んでいます。
基本、ルールは守るものです。
しかし、想定外はいつでもどこでも起こる可能性があります。
想定外のことを想定内にしていくことが仕組み作りです。
ルールは仕組み作りの手段であり、目的ではないのです。
僕は以前、除草を含めた建物外構のメンテナンスをしていたことがあります。
作業項目に応じて金額換算されたポイントで管理されていました。
ポイント制は、業務量を可視化する上で一定の効果がありました。
やがて各担当は、このポイントを競うようになりました。
ポイントが評価と連動していたからです。
各担当での関心事は「今月いくら稼いだか」に集中するようになりました。
結果として、2つの課題を残してしまうことになりました。
・スピードをより重視したことで作業品質が低下した
・短時間で作業負荷の少ない作業を優先してやるようになった
これは、人を数字で管理しようとした結果もたらされた課題であり、ルールが目的化した典型例です。
企業においてルールから逸脱する行為は、しばしばマイナス評価されます。
ただ、本当に評価しなければならない人材とは「自信をもってルールを逸脱できる人」なのだと思います。