性善説と性悪説
組織とは、トップやリーダーの考え方で大きな流れができます。
「性善説」とは、人間は本性は基本的に「善」であるという考え方です。
「性悪説」とは、その逆で「悪」であるという考え方です。
儒教的解釈は一旦置いておき、ここではビジネス上の話として進めていきます。
ビジネス上の「性善説」とは、やりたいことを自由にさせることで一人ひとりのパフォーマンスを最大限に引き出す考え方です。
一方、ビジネス上の「性悪説」とは、自由が増えれば怠ける人間が必ず出てくるので、厳しく管理していかなければならないという考え方です。
≪性善説≫
‐特徴‐
・ルールや規定は自分たちで決める
・仕事の内容や進め方は自分たちで決める
・貢献度の高い人を加点評価する
‐メリット‐
・一人ひとりの長所を生かすことができる
・やらされ感を排除できる
・モチベーションが上がる
‐デメリット‐
・ルール違反や不正が増える可能性がある
・怠ける人が出てくる可能性がある
・そもそも指示がなければ動けない人もいる
≪性悪説≫
‐特徴‐
・ルールや規定を細かく決めて守らせる
・やるべき仕事を指示通りにやらせる
・ミスや失敗を減点対象とする
‐メリット‐
・見かけ上、ルールや規則が守られる
・見かけ上、指示通りに仕事をこなす
・見かけ上、怠ける人は減る
‐デメリット‐
・悪い情報が上がってこない
・やらされ感が生まれやすい
・モチベーションが低下する
比較してみると「性善説」に基づいた組織は、ボトムアップ的です。
どちらか一方を肯定するわけでも否定するわけでもありません。
ただひとつ言えるのは「性悪説」に基づいた組織のデメリットは、メリットをメリットとして成立させるためのアイロニーが含まれているということです。
人は、ルールや締め付けが厳しくなればなるほど、都合の悪いことを隠し、都合の良いことだけを表に出すようになります。
途方もないやらされ感は、目標を失う最大の要因となり、目標を失うことはモチベーション低下に直結します。
ではなぜ、デメリットの多い「性悪説」的な考え方が組織運営に用いられてきたのでしょう?
一番の理由は、日本の高度成長を支える原動力になっていたからなのだと思います。
・高度成長期の日本は製造業が中心であった
・従業員に求められていたのは正確な作業であった
・企業は組織のルールや決まりを一から従業員に教えていく必要があった
おそらくこのような背景があったのでしょう。
ただ、今の日本は高度成長の時代ではありません。
企業が最優先すべきことは、従業員一人ひとりの能力をいかに引き出すかということです。
「上司の指示にいかに忠実に従わせる」ではなく「上司を超える部下をいかに作るか」が重要なのです。
では「性善説」に基づいた組織運営にシフトすることでもたらされるデメリットはないのでしょうか?
一番のデメリットは、能力の低い人は淘汰されていくということなのだと思います。
人の本性は基本的に「善」。
にもかかわらず淘汰されていく人が出てくる。
これもまた人間社会が生み出したアイロニーなのかもしれません。