やらされ感を排除する
「働き方改革」という言葉を目にする機会が増えました。
平たくいうと残業時間削減の取り組みです。
・残業をゼロにしよう
・ノー残業デーを作ろう
・20時までには退勤するようにしよう
基準は異なるものの、このような取り組みを始めている企業は多いと思います。
今までと同じ業務を、より少ない時間でこなすことができれば、生産性は上がります。
ただ「残業を減らせば生産性が上がる」という論理は、何か重要な視点が欠けているような気がします。
それは
・なぜ今まで残業が発生し続けていたのか
・残業がなくなれば企業業績は上向くのか
ということです。
長時間労働が問題なのは「労働」の中に「労働以外のもの」が入り込んでいることです。
・退勤しづらい雰囲気
・特定の人に集中するルーチン系業務
・サービス残業の横行
サービス残業は論外として、長時間労働の根本的な問題は「時間」ではありません。
「やらされ感」であり「コントロールされている感」なのです。
長時間労働の末、自殺に追い込まれてしまうのは、労働者であり従業員です。
労働時間を自分でコントロールすることができないから追い込まれるのです。
一方、長時間労働の末、自殺に追い込まれる役員や経営者は、聞いたことがありません。
労働時間を自分自身でコントロールできるからです。
休むのも自由ですし、採用も自由です。
やりかた次第では、労働自体を排除することも可能なのです。
このように考えると「働き方改革」の本質とは「やらされ感」の排除であり、「コントロールされている感」から「コントロールしている感」への意識改革なのだと思います。
労働者を時間で管理すること自体が時代にそぐわなくなってきているのだと思います。
いわゆる「正規雇用」と呼ばれる正社員は、自分の労働時間くらい自分で決めれば良いのです。
1日6時間でも12時間でも構いません。
労働時間に関係なく、優秀な社員にはそれなりの仕事がまわってくるものです。
無能な社員に仕事がまわってくることはありません。
優秀な社員は、自分で仕事を取りにいくものです。
無能な社員は、いつも忙しいと言い、働いているふりをします。
社員を評価するのは時間ではありません。
期間内にこなしてきた業務量と成果です。
「働き方改革」で重要なのは、より意欲的に働くことのできる環境や仕組みを作ることであり、「自分でコントロールできる範囲をいか増やしていくか」ということなのだと思います。