30代までのサラリーマン人生はそれなりに順調だった
大学を卒業した僕は、パチンコホールを運営会社に入社することにしました。
要は、パチンコ屋さんです。
「お前をパチンコ屋で働かせるために大学に入れたのではない!」
親には猛反対されました。
猛反対を押し切って入社しました。
入社動機は単純なもので、
・初任給の高さ
・東京で働くことへのあこがれ
・出会いのきっかけが多そう
この程度のもので、明確が目標があったわけではありません。
中でも一番インパクトがあったのは、採用担当者から言われた「持ち株会で株を買えば、君も上場後億万長者だ!」という言葉でした。
入社後早速入会しました。
これは同時に、投資人生の始まりでもありました。
僕にとってパチンコ屋への就職とは、単なる手段だったのかもしれません。
一方、出世欲は人一倍く「働くからには経営幹部になってやる!」などといつも考えていました。
根性さえあれば、乗り切れると思っていたのでしょうね。
入社後、早速壁にブチ当たりました。
日々の業務が、あまりに面白くなかったのです。
興味のない業界で働くことが、これほどまでに苦痛だとは思いませんでした。
「親に反対されて入社したのだから…」などと自分に言い聞かせました。
悩み続け、迷走を続けながらも29歳で店長になりました。
業務の幅が一気に広がりました。
業務領域の拡大に伴い、やりがいを感じ始めるようになりました。
当時は、業界全体の景気も良く、かなりのペースで出店していたせいもあり、店長以上のポストが「ガラ空き」でした。
店長を約1年半経験したあと、複数の店舗を担当することになりました。
いわゆる、エリアマネジャーという立場です。
出店が重なり、店長時代よりも忙しくなりました。
忙しさが、充実感ややりがいにつながっていました。
エリアマネジャー昇進直後の年収は800万程度。
30歳にしては高いほうだったと思います。
初めて年収を意識したのは、車を買い替えるためにローンを組んだときでした。
「いやぁ、パチンコホールさんはさすがですね」
ディーラーの営業マンが、ローン申し込みの年収欄を見て驚いていました。
僕と同年代の営業マンだったので、自分と比較していたのかもしれません。
単なるお世辞なのかもしれませんが。
仕事がようやく軌道に乗り始めたかのように思われた30代前半。
それでもパチンコだけは、どうしても好きになれませんでした。
頭のどこかで、いつもパチンコを拒絶していました。
拒絶反応は、日に日に強くなっていきました。
将来ののキャリアを考えると「そろそろ限界かも」と感じるようになりました。
定年までこの業界にいることを想像すると、息苦しくてたまらなくなりました。
パチンコに対するネガティブな思いが伝わったのでしょうか。
30代半ばに間接部門への異動が決まりました。
物流部門への異動でした。
いわゆる倉庫勤務でした。
このときばかりは、さすがに「終わったな」感じました。
転職活動を始めたのもこのころでした。
ただ、この倉庫勤務、やっているうちになぜかやりがいを感じるようになりました。
パチンコとの直接的な関わりがなくなったことで、ストレスから解放されたからなのでしょう。
仕事に「楽しさ」が加わると、パフォーマンスは上がるものです。
日々の努力が評価されたのか、本社への異動が決まりました。
そして、あきらめかけていた昇格のチャンスがめぐってきたのです。
当時39歳、9年ぶりの昇格試験でした。
年収は1000万を超えていました。
今思えば、ここが会社員としてのピークでした。