40代でサラリーマン人生が暗転する
39歳が会社員としてのピークでした。
年収は1000万を超えていました。
従業員持株会の配当を含めると約1200万。
贅沢な生活をしていたわけでもなく、経済的に余裕があったわけでもありません。
ただ、何となく「恵まれているのかな」とは感じていました。
「1000万」という響き自体に程よい心地よさを感じていたのかもしれません。
同時に「今の立場のままでは年収維持も厳しいだろうな」と考えていたのも事実で、日々の業務でプレッシャーを感じるようになりました。
「年収1000万を超えている自分は優秀だ」
というおごりと、
「どうすれば現状の年収を維持していけるのか」
という不安が頭の中で交互に現れては消えていきました。
年収維持のためにクリアしなければならない課題が1つだけありました。
それは、昇格試験に合格することでした。
年俸社員の試験に合格し、いわゆる幹部社員にならなければ、年収の現状維持は困難だったのです。
チャンスは2度ありました。
1度目は不合格でした。
「これが最後のチャンスだから」
2度目の試験を受ける前に、上司からそのようなことを言われました。
次回以降は、若手にチャンスを譲らなければならないという意味でした。
しかし、2度目のチャンスもモノにすることはできませんでした。
残念ではありましたが、悔しくはありませんでした。
会社が必要としていた人材は、あくまで営業部門のリーダーであり、間接部門ではなかったようです。
営業部門以外からの昇格は、とにかくハードルが高いことを改めて実感しました。
「どうせ俺はパチンコ嫌いだから…」
入社以来続いてきた自分に対する言い訳が、ここでも出てきました。
こうして昇格の望みは、事実上絶たれてしまいました。
試験後まもなく、大がかりな組織改編がありました。
僕を最も応援してくれた上司が異動になりました。
僕自身の担当業務も変更になりました。
慣れない上司になれない業務。
「よし、またゼロからスタートしよう!」
そう言い聞かせました。
しかしこのとき、どうしようもない「燃え尽き感」がありました。
業務に取り組む姿勢に、今までとは全く違う感覚があったのです。
新しい上司からの「押さえつけ」に息苦しさを感じつつ、何より「パフォーマンスが発揮できていない」という自覚を強く持つようになりました。
それでも「自分は優秀だ」などという根拠のない自信だけはありました。
そして、新体制後の初の人事考課。
パフォーマンスの低下は、感覚ではなく事実でした。
評価が1ランク下がってしまったのです。
「慣れない環境だから仕方ないか」
そう言い聞かせました。
ただこの評価ダウンは、転落人生の予兆に過ぎなかったのです。