40代転職活動の現実
実は現在、転職活動中をしています。
30代後半から始めましたので約10年になります。
休止していた期間もありますので、実質4、5年といったところです。
転職経験はありません。
現在の会社に入り25年目となります。
パチンコホールを運営している会社に在籍しています。
転職活動は、複数のサイトに登録し、応募しまくる最もシンプルなやり方です。
40代の転職は正直とても厳しいです。
40代前半で、面接まで進めたのが30件に1件程度です。
40代後半になると50~100件に1件あればよいほうだと思います。
もはや転職サイトへの応募による転職は、通用しないのかもしれません。
長期間にわたり、転職活動を続けてきたのには3つの理由があります。
- パチンコ、スロットが好きになれなかった。
- 30代後半でキャリアの限界を感じた。
- 40代に入り収入が減少し始めた。
仕事とは「好きなことをする」ではなく「やってるうちに好きになる」ものであり、真剣に取り組むからこそ好きになれるものだと思います。
逆をいうと「どれだけやっても楽しくない」のは「好きでない」ことでもあります。
「好きでない」ことを何十年も続けることは、大きなストレスです。
当然ながら、営業部門に在籍していたころは、パチンコの話ばかりでした。
休憩中もパチンコの話。
他のお店にパチンコをうちに行く「競合店調査」も業務のひとつでした。
好きでなければ続けられる環境ではありません。
パチンコオンリーの環境に毎日ストレスを感じていました。
にもかかわらず、転職にふみきれなかったのには3つの理由があります。
- 営業部門以外への異動により再び仕事が楽しくなった。
- 転職は大幅な収入減を伴うものだった。
- 副業で収入減を補おうと考えた。
営業部門で限界を感じていたころ、物流部門への異動が決まりました。
業務内容からパチンコが外れました。
胸の奥にあったモヤモヤがスッと消えていきました。
言いたいことが言える、提案が通る環境に、仕事が楽しくてたまらなくなりました。
評価も上がり、年収は1000万を超えました。
人は弱いもので、現状維持を望むとパフォーマンスが落ちるものです。
社内には優秀な人がたくさんいます。
結果的に僕はそのプレッシャーに負けてしまったのです。
収入の減少分を副業で補おうとしました。
しかし、結果的に全くうまくいきませんでした。
そして、転職活動を再開しました。
10社ほど面接をして2社から内定をいただきました。
いずれも辞退しました。
転職に伴う収入減を家族に説得するだけの力がなかったからだと思います。
約25年の会社員生活、そして転職活動から学んだことはただ1つです。
収入を軸に仕事をすると必ず失敗する
これだけは間違いありません。
収入はあくまで結果であり目的ではありません。
この間違いに気づくまで時間がかかりました。
正直、失敗だらけの人間です。
拾い上げていただける方がいらっしゃいましたら転職を即決します。
新しい世界でやり直したいと考えています。
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コロナ収束後の世界
「コロナ収束後に世界は一変する」などという言葉を耳にする機会が増えました。
その中でも一気に加速しそうなのが、オンライン化だと思います。
感染拡前、満員の通勤電車の中で在宅勤務を想像していた人がどれだけいたでしょう。
僕自身、在宅勤務つまりテレワークをイメージしたことなど全くありませんでした。
しかし「緊急事態宣言」を受けて状況は一変しました。
テレワークの波が一気にやってきたのです。
今までテレワークが浸透しなかった理由はどのへんにあるのでしょう。
- 打合せができなくなる
- 面談ができなくなる
- 商談や営業ができなくなる
- 採用活動に支障が出る
- ペーパーレス化が進んでいない
- 社内規定やルールが未整備である
根底には「直接会って話をしなければビジネスは進まない」という思い込みがあったのだと思います。
もう一つ大きな理由があります。
「常に監視していなければ社員がは怠ける」という思い込みでした。
実際にテレワークを始めてみると、両者は思い込みであることを実感します。
特に後者は典型的性悪説に基づいた発想だと思います。
社員が怠けるかどうかは仕事を与える側の問題であることがはっきりしました。
つまり怠ける社員はオフィスにいても怠けるのです。
テレワークの浸透は、あらゆるムダに気づくきっかけを与えてくれました。
- 広いオフィス
- オフィスの座席
- 会議室
- 対面商談
- 対面ミーティング
- 職位
- 業務指示
- 単身赴任
- 残業
- 出張
会社の備品を大切に扱うことや備品購入を減らすことは経費削減の手段ではあるものの、仕組みを変えることではありませんでした。
また、テレワークの浸透と歩調を合わせるように、オンライン化の波はプライベートでも進んでいくのは間違いないでしょう。
- オンライン飲み会
- オンライン授業
- オンライン結婚式
- オンライン葬式
- オンライン帰省
- オンライン旅行
- オンラインショッピング
帰省や旅行は若干強引な表現かもしれませんが、オンライン化を前提に、より合理的な手段を選ぶようになると思います。
オンライン化が進むと、物価が高く人の多い場所に住む必要性も低下します。
東京一極集中も少しずつ解消されていくのかもしれません。
親の介護もテレワークの浸透で解決することができればとてもよいことだと思います。
最後に、コロナ収束後に一番進みそうなもの 。
それは何と言っても「人員のスリム化」でしょう。
副業解禁の流れは「不足する収入は自分でまかないなさい」という会社側からのメッセージです。
いわゆる一流企業や大企業に入社すれば生涯安泰などと言える時代ではなくなったことが、今回のコロナ禍ではっきりしてしまいました。
環境の急速な変化を肌で感じながら、僕は今日も淡々とブログを書いています。
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新型コロナと経済
全国的に緊急事態宣言が発出されました。
オフィスで業務は自宅でのテレワークに移行しました。
不要不急以前に外出すること自体がなくなりました。
感染拡大を抑えるためにできることはこれしかありません。
みんな同じです。
とはいうものの、僕は新型コロナの感染拡大にはあまり興味がありません。
生きている以上、ウイルスを排除するのは不可能だと考えているからです。
僕は冬に毎年決まって発熱を伴う風邪をひきます。
手洗いうがい等、最低限の予防はしています。
それでも流行しはじめるとあっけなくかかってしまいます。
風邪をひくと「〇〇さんにうつされた」なとど大騒ぎする人がいます。
僕はあの発想が好きではありません。
うつしたとされる人も好きでかかったわけではありません。
そして何より科学的根拠に乏しいからです。
科学的根拠という点では、マスコミ報道や専門家意見も偏っていると感じています。
「人との接触を8割減らす」の8割減の定義がよくわかりません。
「何もしないと何万人もの死者を出す」的な専門家の意見も「何もしない」がどのような状態をさしているのかが不明確です。
それになぜ「何もしない」状態を想定しなければならないのかがよくわかりません。
日々公表されている感染者数についても、分母が不明なので割合として増えているのか減っているのかがわかりません。
死亡率について、専門家は「インフルエンザと比較すること自体が間違い」と口をそろえます。
ただ、比較対象がなければ脅威度をイメージすることは不可能だと思います。
このように、人は数字を具体的な根拠と考え、正確な情報と認識してしまうため「コロナはヤバい」「コロナは危険だ」という結論に至ってしまうのです。
僕が今最も関心があるのは、日々の感染者数や死亡者数ではありません。
どのタイミングで経済を通常の状態に戻していくかということです。
僕が働いているパチンコホールも9割以上が休業に入りました。
感染拡大を防ぐ上ではやむを得ない判断だと思います。
とはいえ、休業が1年上続く事態となれば、おそらく会社はもちません。
大半の企業で同じようなことが起こるでしょう。
従業員の収入は減り、失業率は跳ね上がります。
残念ながら経済的理由による死者が増えてしまうのも間違いありません。
新型コロナの死者数を上回ることも想定しておかなければならないでしょう。
感染拡大だけを理由に経済活動を止め続けるのはとても危険なことです。
「人の命を守ることが最も重要」といって経済活動を止めることばかりを主張する人には「経済活動が人の命を守る」という最も根源的な発想が抜け落ちているのです。
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こういう時期だからこそ
新型コロナウィルスの感染拡大がとまりません。
感染が拡大すればするほど問題になるのが経済への影響です。
僕が働いている会社も「緊急事態宣言」に伴い、一部の店舗が休業となりました。
感染拡大が長引けば、会社存続にかかわる問題となるのは間違いないでしょう。
コロナに対するビジネスへの影響について、受け止め方は人により異なります。
- 政府による補償を待ち続けている人
- 最悪の事態を想定し次の展開を考える人
大きくこの2つに分かれるように思います。
一方が正しく、もう一方が間違いというわけではありません。
ただ、受け止め方という点で、逆境に強いのは圧倒的に後者だと考えています。
人生は選択の連続です。
どれだけリスクをとるのかは個人の自由です。
どれだけリスクを減らしていくかも個人の自由です。
どれだけリスクを減らせるかは、確率の問題であり絶対的なものではありません。
生きている以上、リスクゼロの人生はありえないのです。
いわゆる大企業や一流企業に就職したからといって、一生安泰などということはありません。
一生安泰であれば、世界中が今回のコロナ禍でここまで揺れることもないでしょう。
人間は、不確定要素が大きいほど不安を感じ、動揺する生き物なのです。
「国会議員の歳費を削減しろ」
「公務員の給料を減らせ」
このような言葉を耳にする機会が増えました。
特に前者については反対する理由もないのですが、感情ばかりが先走っているような印象を受けます。
公務員は、様々な選択肢の中から試験に合格し、今の仕事についた人たちです。
他人から「給料を減らせ」などと言われる筋合いはないのです。
リスクという点では、病気やケガについても同様のことが言えるでしょう。
「健康的な生活をしていれば病気にかからない」
という言葉も、強いて言えば確率の問題であり、基本的に根拠がありません。
何をもって健康的なのかもわかりませんし、何歳まで生きれば幸せなのかもわかりません。
「長生きすれば幸せ」ということ自体、他人の勝手なイメージであり、本人の幸せと寿命には何の関係もないのです。
ケガについては、病気以上に突発的にやってくるものです。
「気を付けて生活している」
これも「健康的な生活」と同じで、事件や事故に巻き込まれる可能性を排除できるわかではないのです。
「四苦」という言葉があります。
「生・老・病・死」のことです。
この世に生まれてきた以上、これらの「苦」から逃れることはできません。
この1点において、人間というより生物は究極的に平等なのだと思います。
こういうときこそ現実を冷静に受け止めたいものです。
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テレワーク開始
緊急事態宣言が発令されました。
宣言が出された都府県の店舗は休業となりました。
オフィスで働くメンバーは全面的にテレワークに移行しました。
東京本社もほぼ無人状態です。
4月に大幅な組織改編がありました。
本社機能を強化するための異動でした。
そのメンバーも着任初日からテレワークです。
僕はというと、赴任先の大阪から埼玉の自宅に戻ることになりました。
埼玉の自宅でテレワークを開始することになったのです。
約1週間、大阪で行ったテレワークの感想をまとめてみると
- 通勤時間はムダ
- 通勤準備時間もムダ
- 時間管理の概念が変わりそう
- ペーパーレス化が確実に進む
- Zoomや社内版SNSの活用が進む
やはり通勤による時間のロスは大きいですね。
通勤は生産性ゼロです。
通勤に往復合計2時間かかるとすれば、20日勤務で40時間。
月の労働時間が約160時間。
合計約200時間。
つまり、労働にかかわる時間のうち20%が通勤時間ということになります。
単身赴任の考え方も変わっていくでしょう。
単身赴任の前提は「現場に近いところで」「現場の人と顔を合わせ」でした。
しかし、情報のやりとりのほとんどは、電話やメールで完結します。
直接会わなければ仕事にならないということは、ほとんどありません。
出張についても単身赴任とほぼ同じことが言えると思います。
次に社内コミュニケーションについてです。
1週間の感触からすると、こちらも全く問題なしです。
- 顔が見えない分、連絡を密にとるようになる
- 顔が見えない分、アウトプットが増える
- 顔が見えない分、成果にこだわるようになる
周囲の状況が見えないため、他人との比較ではなく自分との戦いとなる傾向が一層強まるでしょう。
テレワークは、残業時間削減にも効果があると思います。
- 「帰りづらい」という理由での残業がなくなる
- 「なぜ時間内で終われないのか」が厳しく問われる
- より明確な理由が必要になる
問われるのは業務時間ではなく、質的な部分なのだと思います。
また、コミュニケーションで一番影響が大きいのは、いわゆる「社内版SNS」の普及ではないかと感じています。
機能的にはLINEとほぼ同じです。
いままでの社内メールで一番厄介だったのは、部門ごとに存在するローカルルールでした。
象徴的なのは「部門外の担当者へのメールはCCで部長を宛先に入れる」的なつまらないルールの存在でした。
それがLINEと同様、気軽にコミュニケーションをとることができるようになったのです。
気軽さは、業務のスピードアップにも貢献します。
またこの社内版SNSにはは親切にスタンプまでついています。
僕はまだ上司に対してスタンプを使用したことはありませんが…
テレワークは、サボる気になればいくらでもサボれます。
オフィスワークは、サボりたくてもサボれません。
だけど仕事をしているふりをする人はいます。
結局のところ、パソコン1台で完結する業務であれば、場所は関係ないのです。
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役割が人を育てる
「優秀な人材」という言葉を目にすることがあります。
企業は「優秀な人材」を採用しようとします。
採用された社員は「優秀な人材」を目指します。
「優秀な人材」とは評価の高い社員のことです。
評価の高い社員ほど、組織の中でより高い地位に就くことができます。
組織のヒエラルキーは、このように形成されていくのです。
当たり前と思うかもしれません。
しかし「優秀な人材」とは、組織内での相対評価でしかありません。
業種ごとに評価基準は異なります。
企業単位でも評価基準は異なります。
そして何より、上司によって評価基準は大きく異なるのです。
つまり「優秀な人材」ほど曖昧な概念はないということなのです。
SNSを見ていると、このような投稿をたまに見かけます。
「無能な社員は排除すべきだ」
「優秀な社員をもっと優遇すべきだ」
「無能な社員を優遇していたら、優秀な社員のモチベーションが低下する」
このような意見を持つ人は、組織内で比較的上位にいるのでしょう。
会社員として順調に出世した人なのかもしれません。
「あんな社員に給料を払うくらいならもっと自分を優遇しろ」
これが本音なのだと思います。
この意見には強い違和感があります。
自称「優秀な社員」が「無能な社員」という言葉を使うことの違和感です。
本当に優秀な人は、自分以外の社員を無能扱いすることはありません。
どうすればパフォーマンスの底上げにつながるのかを考えます。
パフォーマンスの底上げこそが組織活性化につながると考えるからです。
「無能な社員」の待遇が自分自身のモチベーションに影響するのは、そもそも優秀な人材の発想ではありません。
自分自身の待遇に不満があるなら、転職や起業により別の世界で勝負すればよいのだと思います。
もう一つの違和感とは「役割が人を育てる」視点の欠如です。
人を成長させるのは評価ではありません。
人を成長させるのは与えられた役割です。
ですから、役割を先に与えあとで評価すればよいのです。
役割を先に与えることは、公平にチャンスをあたえるきっかけにもなります。
しかし、ほぼすべての企業で導入しているしている人事制度は全く逆です。
評価が先で役割があとなのです。
理由は簡単です。
後者は前者に対し制度設計がシンプルだからです。
前者は「公平にチャンスを与える」プロセスが追加されますので、制度そのものが煩雑かつ複雑なものになる可能性はあります。
だだ、どうでしょう?
現状の人事制度が、多くの会社員にとってストレスの原因となっているのであれば、逆転の発想で制度自体を見直してみるのも価値があると思うのですが。
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「飲んで忘れる」は前向きか
昔、職場のメンバーでこんな人がいました。
彼はいつも「飲んで寝れば忘れるので大丈夫です」という言葉を口にしていました。
仕事がうまくいかないときには「飲んで寝れば忘れるので大丈夫です」。
上司から強く叱られた後でも「飲んで寝れば忘れるので大丈夫です」と言っていました。
実際彼は帰宅後に毎日自宅で多量にお酒を飲んでいたようです。
僕は彼の実質的教育係でした。
彼は頭が良く、要領よく仕事をこなすタイプでした。
仕事をこなすスピードも速いほうでした。
一方、わからないことを「わかりません!」できないことを「できません!」と言い切る特徴がありました。
自分にとって無駄と思われることや意味のないと思われることは「わかりません!」「できません!」で終わりなのです。
僕は彼に質問しました。
「他の方法を考えてみたら?」
彼は言いました。
「だって、意味ないっすよ」
僕は思いました。
「この感覚こそが彼の欠点なのかも」
嫌なことを忘れるのも才能なのかもしれません。
ひとつの失敗にこだわり続けていて前に進めないこともあります。
ただ、「嫌なことを忘れる」と「気持ちを切り替える」はイコールではないと思いました。
両者を比較してみるとこんな感じです。
嫌なことを忘れる
- 振り返りがない
- 学習しない
- 同じミスを繰り返す
気持ちを切り替える
- 問題点を振り返る
- 対策を考える
- 対策を実行する
前者は日々リセット状態。
後者は日々アップデート。
彼は典型的な前者タイプだったのです。
日々の業務で起きた、嫌なことには必ずどこかに原因があります。
- 職場の人間関係
- クレーム対応やトラブル対応
- 業務に対する知識不足
- 目標未達
- 評価ダウンや降格
業務で発生する「嫌なこと」つまりストレスとなり得る要因をあげればきりがありません。
しかし、これらの要因を日々のリセットしのぐのはあまり前向きな行動ではないと思います。
飲んで忘れるのではなく、向き合う姿勢がなければ成長がないからです。
飲酒自体を否定するつもりはありません。
僕もお酒を飲むことはあります。
ただ、彼に必要なのはあえて飲まない日をつくることなのだと思います。
業務の振り返りや自分自身の成長につながる取り組みが必要なのだと思います。
僕は彼と真逆のタイプで、飲んでも嫌なことを忘れないタイプです。
根本解決するまで気持ちが落ち着かず、考え込んでしまうこともよくあります。
仕事そのものが合わないと考えれば、仕事を変えなければ気が済まないのです。
僕は今転職を考えています。
40代の転職は年齢的にもハードルが高すぎるようで、実現の可能性も日々低下している実感があります。
転職を実現させ、転職ノウハウをブログに書くことが今年の目標です。
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